いつもジャーナリングを紙かobsidianにしてるのですが、メモ書きレベルで同じことを何度も書いてたりしてなかなか整理できていなかったのでちゃんとした文書としてまとめることで思考を整理するために記事にしてみることにしました。
普段考えてることを公開することはなかなか小っ恥ずかしいのですがお付き合い頂けるとありがたいです。
モチベーションが迷子問題
今私はSaaS企業で機械学習エンジニアをやっています。
年末の振り返りからしばらくして、「便利を生み出すエンジニアよりも感動を与える映像演出などのほうが直接的に人のためになるコンテンツを生み出せてやりがいがあるんじゃないか」と少し今後のことについて悩んでいました。
いろいろ自問自答した結果、上記の考え方はそもそも屁理屈で演繹的な類推をしたにすぎず自分が本心でやりたいこととは少し違うことがわかりました。
加えて、「映像を作ったとして、顔の見えない不特定多数に感動してもらってもそんなに自分はうれしいのか?」「それよりは身近な誰かに感動してもらって反応を見れた方が嬉しいのではないか。」「まして一番身近な人は自分なので自分が喜べて相手も喜べるのが理想ではないか。」 と思うようになりました。
別に不特定多数の誰かに感動して欲しいから作るわけではなく、自己満足でもいいから良い作品を突き詰めて作りたい、その結果として誰かが感動してくれた、嬉しい、またいいものを作れるように頑張ろうという順番のサイクルなのかなと。
「作る "何か" は無意識レベルでなんか好きなもの。好きだから勝手に作る。」みたいなものでよいのかなと。
もっというと作品から直接伝わる感動もあれば、誰かが仕事に向き合う過程を通して伝わってくる間接的な感動もあるなと。
そう考えると、作品を作ることやどのような仕事をするかはお飾りにすぎず、今は「要は他人に感動を与えるくらいの何かがしたいのかな」という割と抽象度の高い結論に至っています。
そして感動与えるくらいのことができるようになるには、高い水準の技術力も必要ですし人間性も必要なのでその辺りを高められるように日々意識していきたいと思っています。
プロフェッショナルを目指す
「とはいえ何から始めれば良いのだろう。」
そう思い色々考えましたが、「今はとにかく強みとなる専門性が欲しい。」そう思っています。
「これだけはプロと言い張れて、実際に誰かの役に立てて、その対価としてお金がもらえて飯が食える。」「いろいろはできないけど最低限これはできて役に立てるよ」という自分でいたかったのです。
そうすることでその領域でのプラクティカルな知見も積み上がっていき、より役に立てるようになるというサイクルがまわり、自分の得意と相手の需要がマッチするのかなと思っています。
その結果、感動を与えられるくらいのことができるようになり、それをプロと呼ぶのではないかと。
また、今の中途半端なままでは他の職種に移ったとしても後悔が残ってしまう。それだけは嫌だったのです。
なので、今はML領域、特に会社のドメインと相性の良いVLM領域の専門性を高めようとしています。プロになれるよう鋭意精進しているところです。
(正直ML・VLM領域の専門とするエンジニアは社内に多いですが、個人としてその領域が好きであれば、きちんと事業価値が出せれば誰かと被っても他人は関係なく会社にも貢献してるので問題ないという先輩の教えに共感したので、あまり社内の誰かと被っているからといって、個性を出そうとするあまり目指す領域をずらそうとするのはやめました)
仕事をゲームと思うことにした
「仕事をゲームと思うとか、こいつ仕事舐めてるな」と思われたかもしれません。
しかしこれは仕事を重く見過ぎるあまり身動きが取れない自分をキャンセルするための突貫対応です。
というのもプロとして人の役にたつものを生み出すことを意識するあまり、気づけば「自分はまだまだなんだから土日も勉強しなくては。」と焦燥感に駆られるあまり上滑りした思考になっていました。
こうなると、いざ勉強しようというときに、「やりたくないのに休日にもやらないといけない。でも何のために?そんなに人の役に立って何がしたいの?」と思うようになります。
ましてや重い腰が上がらなくなり結局日々の学習からも逃げてしまう始末。
かといって漫画読んでもアニメみてもyoutubeみてもゲームしてもなんか充実感がない。
結局これらはやるべきことに対する逃避行動でしかなく、私にとって真にやりたいことではないようでした。
もちろん、仕事に対してある程度責任をもつことで、スケジュールを守れるように他のメンバと連携して開発ができたり、そのスケジュール前提でプレスを打つことを計画したりと並列的に動けるので仕事がスムーズに進めるようになるので大事なことではあります。
しかし、責任を感じすぎてプロとしての技量を培っていくことができずに結果プロになれずに結果が出ず相手のためにもならないのでは本末転倒です。
社内で楽しそうに働いていて優秀な方を見たり、実際に話を聞いていると、仕事を課題解決という一種のゲームのように捉えていることがわかりました。これがちまたで聞くゲーミフィケーションというやつかもしれません。
最初は仕事をゲームと思うと碌なことが起きないのではと少し怖かったのですが、背に腹は変えられないので、思い切って試しに仕事をゲームや趣味にちかいものと思うことにしてみました。
ゲームから充実感を得られないのは、ゲームのステージをクリアしても現実世界ではなにも得ることができず虚無になるからです。ならば、仕事をゲームにすれば成果をあげることで人の役に立てますし、役に立ち続けていて場昇格し給料をあげることもできます。現実世界で得るものがあるのです。
それに、ゲームといっても遊んでいるわけではなく、どうしたら目の前の課題を解けるのかを楽しみながら解くということかなと解釈しており、楽しめると続くので仕事も楽しめるようになります。
ゲームと思うと気が楽になり、変に力むこともなく、とはいえ合理的に進めようとなるので、ハードルの低さとパフォーマンスが割と両立する気がします。
このように考え方を変えてみると今まで仕事のために学習しようとしたが読めていなかった本がふしぎとすんなり読めたのです。
どうやら、プロを目指しているにも関わらず読めていない自分への罪悪感、それによる自分の中での自己嫌悪・自己悲観に脳のリソースを使ってしまい、読む前に私の精神エネルギーが尽きていたことが原因のようでした。
または、読もうとページを開いても、他の人に遅れをとっているので早く読み進めないと追いつけない。と焦って内容が頭に入ってこなかったことも多々あります。
このように、責任感を持ちすぎると良くないこともあるようです。
ゲームのように捉えて責任という重しを取っ払ってみるとフッ軽に考えれて行動に移しやすくなりました。
(仕事終わりの電車などで疲れてる時に読もうとしてもやはり頭に入ってこないので土日もそうですがやはりある程度リフレッシュのための休息日は必要かなと思いました...)
構造を理解する
また、今までは本を読んでも暗記のように読んでしまい技術書を読み終えたとしてもあまり実務で活かせていなかったので、次も読もうと言うモチベーションがなかなか湧きづらい状態でした。この頃はうまくインプットとアウトプットのサイクルが回っている気がしませんでした。
あるとき先輩から「構造を理解すれば課題がわかるので解決策が見つかるはずだ」という教えがありました。これは自分にとっては目から鱗でした。
それなら 読書のようなインプットから構造を理解して解決策がわかれば実務でも活かせる とおもい、実務に活かして良い結果が出せればまた次の本を読みたくなるというサイクルが回る と思ったのです。
インプットとアウトプットと2つの分かれたものと捉えるのではなく、「構造がどうなってるかみてみよう」「そのような構造になっているのであればこうすればいいよね」というシンプルな地続きのことなのだ と捉え直す良い機会でした。
それ以降は、焦らずじっくり構造の理解を深めることを意識して技術書を読むようになり、自然と「このような構造なのであればなぜここはこうなってるんだろう。自分で試してみたい。」といった内発的なモチベーションも生まれてきました。
深く理解すると「あー、そういうふうになってるんだな」というアハモーメントがあり、勉強にハマったころの学生時代はこんな感じで思いの外楽しいものだったよなとその頃の感覚を思い出すことができました。
仕事で早く結果を残したいと日常業務しかやらずに学びをおろそかにすると、将来の求めている結果は得られない。そういう時こそあえて立ち止まり、なぜそうなっているのかという構造、いわば基礎を時間をかけて身につけて積み上げることこそ、最も早く結果を持続的かつインクリメンタルに出していく唯一の方法なのではないかと思っています。
実際、今流行りのClaude Codeに指示をする際にもTDDやSSOTといった古来からの基礎的な知見が役立ちます。
トレンドが現れた時に落ち着いてその技術の裏側を見ると、基礎の知識が螺旋のように連なってできたものだということがよくあり、今基礎を身につけることで将来またトレンドが現れた際も理解の助けになるのではないかと思っています。
ということで最近の悩みと気づきをつらつらと書いていきました。
後で見返してこの時はこう対処してたんだなと振り返るための備忘録としたいと思い書いてみたのですが、同じような悩みを抱える方への何かしらの気づきがあれば幸いです。
それでは!